I'm Still Hereにおける仕事観

最近は映画をitunesでレンタルすることが多い。

ディスプレイのフローティング具合を調整して、アーロンチェアに体を沈める。

PCで映画を見ることに抵抗はあったが、慣れるとそれはそれ。
飛行機の中で見ていると思えば良いんでしょう。



本題に入るが、先日"I'm Still Here"を観た。

簡単にいうとオスカー俳優が突然ラッパーに転向したらどうなる?という内容で、ホアキン・フェニックス主演のドキュメンタリー風コメディ映画。

この映画で僕が特筆したいのは登場人物達の仕事観。

曲のプロデュースをDiddyにお願いするのだが、彼にもふざけていることはなんとなく伝わっている感じ。

それでも、Diddyはプロとしてちゃんと敬意を持って接する。

オスカー俳優としてのキャリアには敬意を払うが、もしDiddyの土俵である音楽シーンにラッパーとして入ってくるのであれば、お前はここでは何の価値もない存在だと教えてやる。

それでも仕事に賭ける本気があれば土俵に立たせてやるが、お前にはあるのか問いかける。

そんな本気な問いにお笑いドキュメンタリーとは言えずに俯くホアキン・・・。



仕事に本気になれるかなれないかという仕事観は、映画ではよく取り上げられる。

ホアキン自身は子役からショウビズの世界に入っており、自ら選んで俳優の世界に入ったという感じでもないから、Diddyや周囲の人の持つ本気度がいまいちわからないのかもしれない(本当はわかっているのだろうけどこの映画では)。

そこを成長物語として、俳優引退~転職~復職という通過儀礼的な感じで描いているのだと思う。

まったく、働く行為も人生の時間のひとつであるんだなと思う。

"The Devil Wears Prada"などはそこをストレートに描いた作品だし、もう少し家族にピントを合わせたのが"somewhere"。

なかなかの佳作でした。

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