タイム:In time

映画監督も小説家と一緒で、複数の作品を観ることで初めてその監督のひととなりがわかるということがある。

アンドリュー・ニコルという監督について、ようやく自分の中で整理がついた。



Trailer


アンドリュー・ニコルがおくる、時間が資産となる近未来の話。


「映画との対話」

映画監督に求められる能力はいろいろあると思うが、結局は「最後までストーリーを見せ続けられる能力」だと私は思っている。

これには個人としてのアーティスト能力と、集団をまとめ上げるマネージメント能力の両輪が必要だ。


アンドリュー・ニコルのマネージメント能力は、アーティスト能力と比較して極端に弱いのだと思う。

彼のキャリア初期である「ガタカ」と「トゥルーマン・ショー」と、以降の映画ではクオリティが雲泥の差がある。これはガタカの成功以降、彼に求められるマネージメント能力が彼のキャパシティを超えた結果だと推測している。


「タイム」もアイディアや独特の美意識には目を見張るものがあるのだが、それは監督個人の能力であって、映画自体を最後まで破たんさせずに見せるということはできなかった。

映画自体を最後まで破たんさせずに見せる為には監督としてのマネージメント、いわば横暴さが必要だ。キューブリックも、リドリー・スコットもそういわれている(ジョブスもたぶんそう)。


彼は自分の意思を押し通す「横暴な天才」にはなれなかった。そこでわかった。

彼は本当にユージーンだった、ということ。



「おまけ」

アーティスト能力と比例したマネージメント能力を持つ監督であれば、思っているものが世に出しやすいと思う。そういう能力のバランスのとれた監督は今のほうが多い。

アンドリュー・ニコルにはついノーラン的な複雑な大作映画を期待してしまうが、ウェス・アンダーソン的な方向性の固まった小さい映画が合うのではないだろうか。





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